モヤモヤ寺

モヤモヤしたことを消化します

十分すぎるほどに親バカ

たまにはほっこり系モヤモヤ話でも。

 

私の夫ですが、基本的に子供が苦手。
息子が産まれてもそれは変わらず、息子のことも

「まぁ自分の子どもだからちゃんと育てるし相手するけど、子どもが大好きというわけではない」
「子どもだからかわいいとは思うけど、『俺の息子が一番かわいい!』とまではならないなー」
「俺は何でも客観的に見れるから親バカとかはないわー」

と言っています。
産まれてだいぶたった今でもそれは変わらず。

妻としてはちょっと残念だなぁ、息子大好き!な夫の方がいいなぁ、くらいに思っていたのですが…

 

友人夫婦と話をしたときのこと。

友人「息子君、ストレートヘアーでいいね!うちの息子、天パなんだよねー」
私「んーでもうちの息子も量が増えて伸びてきてからだよ。最初はうねってたよ」
友人「ほんとにー?うち薄毛ちゃんだからなー」
夫「え?息子は最初からストレートだったでしょ?」
私「そう?最初ちょっとくるくるしてたよ?」
夫「いや、最初からストレートでしょ」

このあと他の人に呼ばれたりでうやむやになりましたが、
絶対最初はちょっとくるくるでしたよ…
毎日生まれたての写真から見直してる私が言うんだから間違いないよ夫…

そんなにも 息子 ストレート を自慢したかったのかい??

 

他にも

「息子君は身体の使い方がうまいから運動神経が良さそう!」
「息子君は足が速い!」(1歳児)
「息子君は手先が器用そうだな!こんなに小さいものつまめるんだから!」
「勘が良さそう。なんでも教えたら一発で覚えるぞ!」

などなど。

全部「そうだよね、私もそう思うよ!!!」と答えていますが、
世間ではこういうのを親バカって言うんだよ???

 

「俺は何でも客観的に見れるから親バカとかはないわー(キリッ」

この発言を思い出しながら、上記の発言を聞くと笑えます。
でも笑ったり指摘すると親バカ発言しなくなっちゃうから絶対に指摘しません。

 

以上、ほっこり系モヤモヤ話でした。

義父「昔の農村よりはマシ」

前回に引き続き、義父ネタです。

産後2ヶ月のとき、法事があって義父母のお手伝いをしなければなりませんでした。
それ自体は本当に人手が足りないの分かっていたし、身体に響かない程度のお手伝いだったので、仕方ないかなぁと思っていたのですが…


息子を部屋に寝かせてから、いろいろ動き回ってお手伝いをしていた時に、近所の方がやってきました。

近所の方「あら、今日はどうしたの?まだ産後間もないでしょ?」
私「法事があるのでちょっとお手伝いをしています」
近所の方「えー!でもまだ産後1ヶ月とかそのくらいでしょ?休んでたほうがいいわよ」「お義父さんお義母さんも元気なんだし」
私「ちょっと、人手が足りないみたいで」
近所の方「いやいや、産後は1年はちゃんと休んでないといけないの。そういうので一生が決まったりもするのよ。休んでたほうがいいわよ!」

義父「そんなこと言っても、昔の農村とかだと産後すぐに農作業しないといけなかったんだから、それよりはいいやろ」

近所の方「」

私「」

 

近所の方は義父に用事があったようで、私は席を外したのでその後のことは分かりませんが。

ツッコミどころ満載じゃないですか?

昔っていつよ?
農村ってどこのよ?
それ誰から聞いた話?
っていうかそんな話本当にあったの?

それよりなによりそこで
「そうですよね、ここは本当に昔の農村よりマシなところです」
とか私が言ったらどう思うよ?

 

いろんな気持ちがぐるぐるしてしばらく義父とは同じ空気を吸いたくありませんでした。
産後の女はされたこと一生忘れないって言いますけど、本当ですよね!!

普段だったら「またなんか言ってんな」で終わるんですけど、産後のあのピリピリ状態の時にこれ言われた私の心情、どなたか分かってくれませんか。

 

 

ちなみに。

この義父には嫁いでからすでに3度ほど泣かされています。
いい大人が本気で泣きました。
基本的にデリカシーなし男です。

今のところ息子には良いじーじですけど、
本当に余計な一言が多い人なので、
今後も注意が必要だなぁと思っています。

耳が悪いのか、それとも…?

今日は義父の話です。

義父母とは近距離別居をしているので、孫を連れてしょっちゅう会いに行きます。
基本的に良い義父母で、そこまで干渉もしてこないし、イヤミもあまり言わないし、何より孫である私の息子とよく遊んでくれるので助かるのですが…

 

義母が子どもの扱いがとても上手で、娘である義姉の子どもに「ママよりばーちゃんがいい」って言わせたらしく。
なぜかそれを私に自慢してくるのが義父。

で、どうも私の息子もそうだろう、と思っているようなんですよね。

息子が「ママ」と呼ぶのを認めたがらない傾向があります。

 

義父「息子君はなかなかママって言わないねぇ。ばーばは言うのに」
私「そうなんですね。家では言ってますよー」
義父「えー?家では言うんや。ほら、息子君、この人は?(私を指さす)」

息子「ママ」

義父「え?ばーばじゃないよ(うれしそう)」「ほら、この人だよ」

息子「マ」

義父(さえぎるように)「マ、マ、だよ)「ほら、ママは言わんのやって」
私「いや今思いっきり言ってましたよ」
義父「え?ばーばやろ?」
私「ママでしたよ」
義父「ばーばじゃなくて?」
私「ママでしたよ。小さい子の発音だから、聞き取りにくいかもしれませんね。」
義父「そうやね。俺にはばーばに聞こえたわ」

 

しつこい!!(心の声)

 

他にも玄関で「これだれの靴?」というのもよくやっていますが、似たような感じです。
しかも私がわりとメンズっぽい靴を履いているのでほとんど区別つかないんですけど、「ばーばの靴は分かるけど、ママの靴は分からないんだねぇ」とか言ってます。義母の靴は女性らしいかわいい靴です。

 

 

まぁ良い。
息子はじーじばーばと楽しく遊べて満足してるみたいだし、いいところもあるから、このくらいは大目にみてやろう。

 

母のモヤモヤ発言集

前回の記事で母がモンスターペアレントだということを書いたのですが、母に対しては過去かなりモヤモヤさせられました。
(今でもですが)

今日はそんな母のモヤモヤする発言をいくつかご紹介します。
→のあとは私のツッコミです。

 

1.神経質な子ども

母「○○さんところのお子さん、すごく神経質な子なんだって!」
私「へぇーどんな感じなの?」
母「なんか、雨の日に予備の靴下持ってくんですって…(深刻そうに)」

→いやいや雨の日に予備の靴下持っていくくらいそんな神経質なエピソードじゃないし!私の友達でもやってるし!他のエピソードないの?ないんかい!

 

 

2.お祖母ちゃんのおごり

母「この間お祖母ちゃんと旅行行ったのよ」
私「そうなんだ」
母「そしたらね、お祖母ちゃんボケてるのか知らないけど、おごってくれるって言ってたのに急に『支払いは私しないから』って言い出したのよ。ひどくない?」
私「そうなんだ。ボケてるの?何か気に食わないことがあったとかじゃなくて?」
母「知らないわよ。でもとにかくおごってくれるって言ってたのに支払いしないって言い出したのよ」「私そんなこと言われてもお金持ってないし」「まぁ払ってくれたんだけどね」

→確かに急におごりじゃなくなるのは困るかもしれないけど、ひどいって程ではないような…というか私ならおごりだと言われても自分の分は持っていくけどな…
しかも払ってくれたんかい!

うちの母、この手のエピソード結構聞くので、たぶん旅行中にイラッとすることやらかしてるんだと思います。

というかそういうこと1度でもあったら次からは気を付けるとかアテにしないとかすると思うんですけどどうなんでしょうか。

 

 

3.赤ちゃん時代の私の洋服は

母「あんた、赤ちゃんの洋服、毎日替えてるの?」
私「は?うん、毎日替えてるよ。当たり前だよね」
母「下着も??」
私「下着こそじゃん」
母「えーっ!毎日!?洗濯面倒だしもったいないじゃない!!!」
私「」

→ということは私赤ちゃん時代2~3日同じ服着て過ごしてたってことになりますけど…私が肌弱いのってそのあたり原因ってことは…

 

 

どうでしょう、ちょっとモヤモヤしませんか?
一つ一つはたいしたことではないのですが、これが常日頃だと結構イライラしてきます。

私もだいぶ大人になって、適当にかわせるようになりましたが、昔(特に思春期)は振り回されて大変でした…

 

幼稚園の先生が冷たくて泣いた

幼稚園の頃の話。

私の通っていた幼稚園はどこにでもあるフツーの公立幼稚園でした。
場所はどちらかといえば田舎。
本当に普通の幼稚園で、これと言った特色があったわけでもないし、何かに力を入れていたとかもなかったし。

幼稚園生活はそれなりに楽しく過ごしていたと思います。

 

その幼稚園の最後のお遊戯会。
年長さんは「音楽発表」をやることになっていて、その役割決めの日に私は風邪で欠席していました。

でも、ピアノを習っていたおかげか、「ハンドベル」の役を知らない間にゲットしていたらしくて。
次の日幼稚園に行ったらお友達から「ティンカーベルだよ!いいなー」とたくさん言われました。

もちろんティンカーベルは間違いで、ただのハンドベルだったわけだけど、わりと花形の役だったし、「ティンカーベル」っぽいし(笑)、みんなに羨ましがられて私も鼻高々でした。

 

 

練習は進み、本番前のリハーサルの日。

本番で立つ舞台を前に、幼稚園の先生が「○○の楽器の人―」と順番に呼んでいっていました。
で、私は「ティンカーベル」だと思い込んでいたわけで。

でも、実は2曲演奏する曲があって、ティンカーベルなのはそのうちの2曲目。
1曲目はカスタネット

カスタネットの人はもう何度も呼ばれていたけど、私はティンカーベルだと思っていたので関係ないと思い込んでいました。

 

いろんな楽器の名前が呼ばれるが最後までティンカーベルは呼ばれない(当たり前)。

とうとう、最後の一人になりました。

 

私は相当なお気楽幼児だったので、
ティンカーベルだから私だけ特別に最後なんだわ!」とか思っていました。

 

そしたら、先生が怖い顔して指揮台を持って私の真横に置きました。
その上に立って私をにらみつける先生。
そして、何も言わず、私の存在を無視してリハーサルが始まりました。

ときどき周りにいる他の先生とも目が合いました。
みんな怖い顔して私の方を見ていました。
私はだんだん悲しくなってきて下を向いて泣いてしまいました。

 

そして、一曲演奏が終わったあとに、私は泣きながら静かに舞台の上のあいている場所に移動しました。

先生は「そう、よく自分で気づいて一人で移動したわね」
と、冷たく言いました。
褒めてくれていただろうその言葉、全然嬉しくなかったことを覚えています。

 

その後も何もなかったかのように練習は進み、ティンカーベル(笑)の役も無事こなしてリハーサルは終わったのだけど。

その時の「怖い」「恥ずかしい」「悲しい」という気持ちはずっと忘れられないし、
あんなやり方じゃなくて、普通に『りんごちゃん呼ばれたときに行かないとダメでしょ』と叱ってくれたらよかったのに、と未だに思います。

特に指揮台の上に乗ってまでにらみつけたあの先生の顔は忘れられません。

 

まぁ「私は特別なティンカーベルよ!」だと思い込んだ私がかなりアホだったわけですが。

 

 

他にも幼稚園の先生に冷たくされたことがあったので、学生時代に友人が「幼稚園の先生になりたい!すっごく優しかったから!」みたいなこと言ってた時に「うそでしょ」と思っていました。

私は幼稚園の先生が優しかった、なんて記憶は正直全くないです…

 

 

かなり大人になってから分かった話ですが、
私の母がモンスターペアレントだったので、幼稚園時代からいろいろやらかしてくれていたみたいでした。
もしかしたら幼稚園の先生が冷たかったのは、その影響もあったかもしれないな、と今では思います。